iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?/iPS細胞ができた!—ひろがる人類の夢
京大の山中伸弥教授らがつくったiPS細胞(人工多能性幹細胞)について一般向けに概説する本が相次いで出版されているので、まとめて読んでみた。
まず田中幹人編著のほうがタッチの差で先に刊行されている。数名のチームで取材・執筆したようだ。早稲田の科学技術ジャーナリスト養成プログラム出身者が編集に関わっている。山中教授だけでなくそこの教員や学生たちにも取材し、彼らの言葉を入手した上で書籍全体を構成している。前半はどうやってiPS細胞ができたのかを山中教授の思考経過に基づいて詳細に解説。後半で今後の再生医療にどのような展望が開けるのか、また倫理的・政治的な問題点は何かを述べる。ジャーナリスティックな文体だが、押さえるべきところは押さえていると思う。アメリカの資本力に対して、日本はお役所仕事でES細胞の話を援用した規制も厳しすぎる、オールジャパン体制で行け、と煽るが、一方ではまだiPS細胞は再生医療に何も貢献できていないことをきちんと示し、患者さんも正しく知り、ともに勉強していかなければならない、と締めくくっているのは好感が持てる。
もうひとつ、私がポイントを置きたいのは、iPS細胞に関して生命倫理の話がどこまで書かれているかである。ES細胞は倫理的な問題があったけれどiPS細胞なら大丈夫、とローマ法王庁やブッシュからお墨つきをもらって一色歓迎ムードのiPS細胞だが、本当にそうなのか、という視点は大切である。本書では、iPS細胞が倫理面をクリアしたといわれているのは、キリスト教を基盤とした社会前提なのだから、そこを考えてみるべきだ、と述べている。ES細胞は胚からつくられるが、この胚の時点からが人だという考えはキリスト教のものだというわけ。では、今後技術が進めば、iPS細胞からも胚そのものをつくれるかもしれない。その場合、ならばiPS細胞も人なのか。そういう問題が残るとしている。またiPS細胞による再生医療はたぶん金がかかるから、格差拡大が進むとも懸念する。
もうちょっと笑顔で未来のノーベル賞候補者の成功に共感したいという人は後者を読むほうがいいだろう。ニュースで騒がれているiPS細胞についてちょっと知りたい。あまり難しい背景や研究の歴史は不要。山中先生すてき! と思いたい、という(おそらく多くの)読者は、こちらで充分だと思う。ものすごく活字も大きく、正直言ってかなり拙速につくられた本だと思うが、対談の聞き手役である畑中正一先生が(失礼ながらびっくりするほど)きちんと山中教授から話を聞き出していて、それなりに読める本に仕上がっている。注釈なども畑中先生がしっかり手を入れている。これはもう畑中先生の貢献で成り立っている本でしょう。ポイントをおさえながら、夢のある話も広げていて、1100円でふたりの公開対談を聴きに行ったと考えたら安い方ではないでしょうか。現実的にどういうふうにiPS細胞が利用されてゆくのかといったビジョンも明快に畑中先生が語っています。
ただしいくらかライフサイエンスを囓った人だと、このふたつの本は物足りないと思う。
もうちょっと最新の情報も知りたいという人は、「日経サイエンス」2008年7月号に要領よくまとまった記事が載っているので、そちらを読むといいと思った。
数年前から科学技術インタープリターの養成講座がいくつかの大学で開催されたけれど、社会が求めている科学本の一部はやっぱりこういうものだなあ、と感じた。
本当は、1年後にもっと詳しい決定版の本が出てほしい。海外ならそういう本が必ず出る。科学技術インタープリターの養成講座は、とりあえずこうして素早く、それなりに正確な本を出せる人材、あるいはそういったプロジェクトに協力できる人材は育てた。あとは本当に後世まで残る本を書ける人材を育てることができたのか、ということになると思う。そういう本、出てほしいなあ。
私がやはり読みたい本は、ES細胞からiPS細胞への流れをきちんと書いてある本だ。そして、iPS細胞の生命倫理問題を、それなりに瞠目させ、納得させる筆致で書いた本だ。またさらに欲をいうなら、いま渦中にいる研究者たちでさえ想像できない10年後、20年後、50年後の再生医療の未来を、説得力あるビジョンで書いた本だ。
実は私自身、山中教授がマウスでiPS細胞をつくって発表したとき、ある雑誌から「これを題材に未来を語ってほしい」という打診を受けた。しかし物事が大きく動いている最中で未来を考えることは本当に難しいのだなとそのとき痛感したのである。研究コミュニティ内部では描けないビジョンを描くやり方はきっとあるはずなのだが、私自身その方法をうまく見出せていない。これからの課題である。
その意味で今回紹介した前者の本が、航空機の発展にiPS細胞を準えているのは、うーむと思いながら違和感もあった。ES細胞はリリエンタールの時代、iPS細胞はライト兄弟、という比喩は、ハズしていると思うからだ。「日経サイエンス」の記事は「望む! 予想外の進展」という希望でしめくくっているが、こちらのほうが私の感覚にはフィットする。
たぶんiPS細胞の未来を語るときは、もう一段階、二段階くらいの跳躍を含んで話さなければならないのだろう。その跳躍をどのように語るかが、語り手としてのセンスなのだろう。
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