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December 23, 2007

アインシュタイン—時間と空間の新しい扉へ (オックスフォード科学の肖像) /アインシュタイン よじれた宇宙(コスモス)の遺産

「オックスフォード 科学の肖像」と「グレート・ディスカバリーズ」シリーズの対決、第2弾。今回は「オックスフォード」がシリーズ最大の厚さ、対する「グレート」は科学者・サイエンスライターとしても著名なミチオ・カクという構図。
うむ、今回は互角と感じました。両者の書きぶりが大きく違うので単純に比較できないこともある。
「オックスフォード」版は正統的な伝記の体裁。著者はアインシュタインには会ったことのない物理学者。しょっぱなから数式を記しているのはなかなかチャレンジングで、一般読者に嫌われることを覚悟できちんと数学で語ろうと努力した跡が見られ、それはそれで好印象である。一方のミチオ・カクは、いままでさんざんアインシュタインについて書いてきたこともあるのだろうが、記述を大胆にも3つに絞っている。「この本では、アインシュタインの科学的イマジネーションが生み出した物理学的イメージを軸にして、彼の思考の過程と業績を紹介していこうと思う」。その記述の中にアインシュタインの生涯を織り込む仕組み。
ミチオ・カクはいつもおおむね似たようなことを書いているのだが、繰り出すたとえ話を少しずつ変えることで新鮮さを提供する術に長けている。本書でもその才が存分に発揮されていて、彼の愛読者なら安心して読める。「オックスフォード」版はお世辞にも洗練された記述とは言い難いが、著者の格闘の軌跡をこちらも追体験するようで、ちょっと不思議な達成感があった。

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December 22, 2007

リーヴィット (グレート・ディスカバリーズ) (ハードカバー)

原題は『Miss Leavitt's Stars』、つまり本書はヘンリエッタ・リーヴィット本人ではなくてリーヴィットが見たセファイド変光星が真の主役。
ハーヴァード天文台で天体観測の写真乾板から星の地図づくりの仕事を請け負っていた「コンピュータ(計算技師)」の女性リーヴィットは、星までの距離の測定方法を見出す。それまで宇宙を測る方法は、三角測量法しかなかった。しかしそれだと遠い星では視差が小さくなりすぎてうまく測れない。だからあの星とこの星の相対関係を論ずることはできても、夜空に浮かぶ星雲が遠い銀河なのか、それとも近い位置にあるただの星の塊なのか、はっきり距離をいうことはできなかった。その問題を解決したのがリーヴィットの発見だが、彼女は病気がちでほとんど公的記録も残っていない。しかし著者は「一冊の本にするにはあまりに情報が少ない。それでも、この人には語り継がれるだけのものがある」として「私は彼女の物語を記すことにした」。
著者は『量子コンピュータとは何か』などのジョージ・ジョンソン。「グレート・ディスカバリーズ」既刊3冊の中でもとりわけ薄い本なのに、精緻な文章のため読了までには時間がかかった。本書はいわばリーヴィットへの挽歌のようなものである。本書の記述の多くはリーヴィット本人よりもシャプレーと カーティスの島宇宙論争、ハッブルの業績などに割かれている。リーヴィットの晩年についてもほとんど資料がないのだろう、とつぜん彼女の死に言及があり、彼女をノーベル賞に推挙しようとした人もいたようだが当時の天文台長であったシャプレーは彼女の業績を軽視していたことなどが記されている。
カバージャケットに彼女の写真が大きくあしらわれているにもかかわらず、彼女の影は薄い。本書に書かれているように、セファイド変光星のことは彼女でなくても後年に誰かが発見したことだろう。本書の主役は星である。だからこそ読者は墓碑銘の前へ偶然にも佇むことになった旅行者のように、本書から万感の思いを感じ取り、小さな熱い炎を胸に灯す。

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December 13, 2007

マリー・キュリー—新しい自然の力の発見 (オックスフォード科学の肖像) /マリー・キュリー—フラスコの中の闇と光 (グレート・ディスカバリーズ)

いま、ふたつの科学者の伝記翻訳シリーズが競うようにして出版されている。ちょうど刊行開始から少し経って、両叢書にまたがる科学者も出てきたので、この機会に読み比べてみることにした。

まず2007年2月から始まったのが、「オックスフォード 科学の肖像」(大月書店)。ハーバード大のオーウェン・ギンガリッチという天文学・科学史の教授が編集代表しており、年6冊刊行を目指している。すでに『ダーウィン』『アインシュタイン』『ガリレオ・ガリレイ』『エンリコ・フェルミ』『マリー・キュリー』『マイケル・ファラデー』が刊行済みで、さらに15冊の刊行予定も公開されている。「このシリーズはトップレベルの科学者やサイエンスライターによって書かれた、若い読者から一般向けの科学的な伝記である」とあるように、情報を絞り込み、ごく薄くまとまっていることが特徴。執筆陣はどちらかというといまのところ科学史や専門家筋の学者が多い。カバーイラストは小笠原あり、装丁は林修三。シリーズ一覧はこちら、本家のウェブサイト(といってもUS版)はこちら

一方、2007年5月から邦訳が始まったのが「グレート・ディスカバリーズ」(WAVE出版)で、現時点で『マリー・キュリー』『アインシュタイン』『リーヴィット』の3冊を刊行(もうすぐ『アラン・チューリング』が出る)。筆の立つサイエンスライターを揃えているという印象で、邦訳版では日本人研究者による解説も巻末に賦されている。やはりこちらも情報を絞り込んで、ごく薄くまとめている。装丁はマツダオフィス。本家のウェブサイトは存在しないようで、実はこれ、評伝のシリーズではなく人文社会も含めた科学一般のシリーズのようだ。とりあえず原書の紹介ページはこちら

さて、両者による『マリー・キュリー』対決の結果は? これは私が読む限り、「グレート・ディスカバリー」の圧勝。陰鬱なマリーの肖像画をカバージャケットにあしらっていることからもわかるように、こちらの著者はマリーがひんぱんに鬱を発症したことを包み隠さず示していて、それが逆に現代的なマリー像を伝えてくれる。気むずかしくてかわいげはないが、しかし学問への追究心は強いマリー。夫ピエールが事故死した後は常に黒服を着ていたが、年下の男性への愛情を育み、白い服で胸に薔薇を挿すまでになる。しかしその恋愛沙汰がマスメディアで報道され、二度目のノーベル賞授賞も彼女の鬱を治してはくれない。そういったひとつひとつの描写の積み重ねによって、それでも尊敬できる一個人としてのマリー・キュリー像を浮かび上がらせる。科学者の伝記ではあるが、むしろ文芸小説をゆったりと読むような、読書に心の喜びを見出す真の大人にこそ読まれるべき本だろう。一冊の本として私たちの胸を打つのだ。
「オックスフォード」版のほうも、悪くはない。概ね同じことが書かれているし、マリーの恋愛スキャンダルについても記されているし、むしろ晩年についてはこちらのほうが整理されているかもしれない。マリーの生涯を短時間で知りたいという読者の欲求に充分応えている。写真も多い。
しかし何といえばいいのかな、執筆者の文章力が歴然として違う。実は「グレート」版の『キュリー』は他の刊行書より束が厚い。それだけ描写が多いわけだが、それでも読後の充実感はやはり作家の力量に因るところが大きいと思う。

『アインシュタイン』も両叢書から出ている。その感想はまた別途。
とりあえず、今後も両叢書はすべて揃えて、順次読んでゆくつもり。

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