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November 14, 2007

生命とは何か—物理的にみた生細胞 (岩波新書 青版)

おお、再刊されているではないか!
こないだ理研GSCの講演でこの本を紹介したときは古本もほとんど出回っていなくて、数千円もはたいて購入したというのに。
また品切れになって後悔する前に、いますぐ買っておこう!

ヒトゲノムプロジェクトのきっかけをつくった日本の和田昭允は、これを読んで「物理帝国」→「生命王国」の間に橋渡しとして「生体高分子」という中間項を挿入した。その思想は現在の「Omic Space」構想なんかにも受け継がれていると思う。
物理と生命の間に何を入れるかで、その研究者のセンスがわかる。実はシュレーディンガーが本書『生命とは何か』で挿入した橋渡しはエネルギー、エントロピーだったのだと、最近になってようやく再認識した次第。なるほどね。
あなたならどんな中間項を入れますか?

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November 13, 2007

桜坂洋+東浩紀「キャラクターズ」

「この作品は、『ギートステイト』よりもはるかに売れないが、しかしはるかに話題になり」……ふーんそうなんだ?
 『ギートステイト』対談の準備として読みました。が、『ギートステイト』とぜんぜん関係ないじゃん! 
小説は「私小説」と「キャラ小説」に分けることが可能といわれれば、なるほどそうかもと思う。それでライトノベル分野の作家が「私小説」に走って文学的な評価を受けている現状(?)に鬱屈した批評家と作家が、それに反旗を翻すべく新たな「キャラクター小説」を宣言しようとする……という小説風評論風小説。桜坂洋と東浩紀の合作。
読みながら、なぜ自分は「私小説」も「キャラクター小説」もあまり好きじゃないのかわかったような気がした。私小説というのは「私」を書いているわけだけれど、周囲の社会から完全に切り離された「私」というのは本来ありえない。でも私小説は「私」を書きたいので、周囲の社会を「私」から切り離して、いわば社会をキャラクター化して済ませているのではないか。一方の「キャラ小説」は、結果的に登場人物を社会から切り離すことによって、二次創作その他を可能にさせた小説といえるのでは?
つまりその意味で「私小説」と「キャラ小説」は表裏一体の関係にあるのではないか。人と社会は本来切り離せない。しかし人間の認知限界に依存した娯楽性を重視するために社会をキャラ化してわかりやすい敵や憤怒の対象をつくるのが「私小説」。社会の営みや人生といったものから人を完璧に切り離し、キャラ化して自由に遊べるようにしたのが「キャラ小説」。私が面白いと思う小説はそのどちらでもなくて、人も社会も安易にキャラ化しない小説なんだなと再確認した。
たとえばトールキンの『指輪物語』なんかは舞台も登場人物もきわめて類型っぽいのに、読んでみるとまるで「キャラ」という感じがしない。これで人物と舞台のどちらかでも書き割り調になっていたら、たちまち物語はつまらなくなるだろう。確かに読者はトールキンの与えてくれた素材から「キャラ」を抽出できるのだけれど、そこで取り出された「キャラ」は本家のごく一部にしか過ぎず、本家本元はまるで揺るがない。それはつまり『指輪物語』が「私小説」でも「キャラ小説」でもないから。物語のどこもキャラ化していないから。そんな緊張感、ダイナミズムが私は好きなのだろうなと思ったのだった。
でもいろいろな話が伺えそうで、対談は大いに楽しみです。

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November 12, 2007

ウィニーの物語—世界で一番有名なクマ

うーん。
世の中には、すごく面白くなりそうなのに郷土だけで留まっている題材がたくさんある。その郷土に生まれ育った人なら、その題材を本にしてみたいと思う。そうして一冊の本が世に出る。ただしそれは往々にしてとてもつまらない本になり、題材そのものの輝きにさえミソをつけてしまう。これはそんな無数の本のひとつだ。
A・A・ミルンの童話やディズニー映画で有名なくまのプーさんは、ロンドン動物園の人気クロクマ「ウィニー」がモデルになっている。そのウィニーを猟師から買い取って育てていたのはカナダ人獣医将校ハリー・コルボーンだった。彼はウィニペグという町で小熊を買ったので、町の名にちなんで「ウィニー」と名づけた。ウィニーは軍人たちの人気者になるが、第一次大戦が起こり、ハリーはウィニーをロンドン動物園に預ける。
この本は、ハリーとウィニーの生涯を記した本だ。しかし書かれていることはたぶん他の本からの引用や要約ばかり。著者は自分の足で関係者にインタビューしただろうか? いきいきとした会話や情景を盛り込もうと心がけただろうか? 正確さを求めすぎてどんどん文章から精彩が失われていることに気づかなかったのだろうか? 
翻訳者はウィニペグに滞在経験を持つ人で津田塾大学英文学科卒。きっと当地でこの本を知り、情熱に駆られて翻訳しようとしたのだろう。しかしあとがきで軍事用語の訳語に難儀したなどと書いているとおり、プロフェッショナルな仕事ができていない。ぼんやり読んでいたのでは何が書かれているのかわからない日本語が続く。たぶん原文もあまり滑らかではないだろうから、仕方がないのかな……。原著にはない写真を多く盛り込んだと書かれているから、その熱意は伝わってくるのだ。きっと訳者にとっては思い入れのある本なのだろう。しかし……。

地元の郷土史家が書いたこの手の本で、私が自信を持ってお薦めできる一冊は、Norman M. Covert "Cutting edge: A history of Fort Detrick, Maryland"である。細菌兵器の開発をおこなっていたアメリカのフォート・デトリックについて書かれたものだ。NIHの研究者たちもこぞって太鼓判を押すすばらしい内容で、留学中に夢中で読んだ。あの本、翻訳は出ないのかな。

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November 09, 2007

愛と哀しみのル・コルビュジエ (建築文化シナジー)

イラストレーターの著者が、建築家ル・コルビュジエについて調査し、語った本。前半は文章が主体で、正直なところここは著者の思いばかりが前に出すぎて、なかなかル・コルビュジエの全体像がわかりにくい。注釈が多すぎるのも読みにくいかなあ。
しかしマンガ形式の後半になるとすべてが輝き出す。ナンジェセール・エ・コリのアパルトマン(余談だけど、この道って大西洋横断に挑戦したふたりの名前だよね)から仕事場へ向かうル・コルビュジエ。弟子のクセナキスに修道院の設計を任せるル・コルビュジエ。そしてインドのチャンディーガルに大都市の構想を描き出すル・コルビュジエ。それぞれの空気感が本当にすばらしくて、ル・コルビュジエのことなんて何も知らない私でもこの建築家のことが好きになってしまった。
著者にはまるまる一冊イラストとマンガだけのル・コルビュジエ本をつくってもらいたいなあ。

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