仕事で燃えつきないために—対人援助職のメンタルヘルスケア
科学コミュニケータ(ないしは科学ファシリテータ、科学を伝える人、なんでもいいが)はバーンアウトしやすい、だから燃えつき症候群に対するしっかりしたケアが必要、ということを、私は日本科学未来館ができたころからいい続けている。科学を伝えることは正しいこと、自分がやらなければならないことなのだ、という正義感や義務感が生じてしまったとき、「燃えつき」が生じやすい。つまり科学コミュニケータは教師や看護師、ソーシャルワーカーなどと同じく対人援助職であり、だからこそメンタルケアが必要となる。
いま、科学コミュニケーションは一種のブームのようなものとなりつつあり、10年前とは隔世の感がある。しかし今後、必ずそこに関わった人たちの「燃えつき」問題が顕在化してくる。どうか科学コミュニケーションを推進する人たちは、メンタルケアへの充分な配慮をお願いしたいし、また科学コミュニケーションに関わる人も一度はこういう本を読んでおくのがいいと思う。
さて、実は作家というのもひとつの援助職であり、だからこそ「燃えつき」が起こるのではないかと私は考えている。作家というとわがままし放題で、編集者がなだめすかして原稿を書かせているというイメージがあり、表面上はその通りなのだが、実際は作家側がものすごく編集者に対して気を遣っている。編集者がいい気持ちで仕事に打ち込んでくれることが作家にとっての生命線であるから、わがままをいって手を焼かすのも編集者に対する一種のもてなし、援助だと考えることができる。一方で、編集者の仕事環境を整えてやるのも援助のひとつとなる。つまり作家は作品で読者をもてなす対人職であると同時に、編集者をもてなす対人職でもあって、その両方は自分の収益に直接跳ね返ってくる。だから「燃えつき」が起こるのではないか。
また、一作ずつ全力を投入するようなタイプの作家は、作品ができるごとに燃えつきていることになる。その燃えつきが編集者や読者からの高評価となって戻ってくれば次のやりがいにつながるが、そうならない場合の喪失感は大きいだろう。
私自身、ともすれば燃えつきが起こりやすい性格であることを自覚しており、制御に気を配るようにしているが、うまくいっているかどうか心許ない。たとえば私の場合、すでにSFに関しては燃えつきてしまったと思う。SFに関しては何をやっても「あいつは仲間内でないから」という理由によって否定評価しか返ってこないわけで、つまり私はSFに関しては、SFへの対人関係に失敗し、とうの昔に燃えつきて死んでしまった。ただ、SFに関してきちんとスーパーバイズしてくれる人が当時ひとりでもいたら、私の人生は違ったものになっていたかもしれない。
せめてこれから小説を書く人には、そのような事態に陥ってほしくないと思う。もっとも、そんなことを考えることさえ不遜との意見もあろう。
燃えつきを回避し、援助職(科学コミュミケータや作家を含む)を続けてゆくためには、ある意味毎日の仕事で力を抜くことが大切となる。さて、読者の皆さん、あなたはテキトーに書かれた小説を読みたいですか? そういった小説を、あなたはどのように評価・批判しますか? という問題がここで立ち現れることになる。
本書の最後に書かれている「援助職をつづけてゆくために」の内容は、その意味で大切である。ここに書かれていることは『境界知のダイナミズム』で希望として掲げたことと表裏一体なのだと思う。
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