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October 31, 2007

ニッポンの境界線

〈境界知〉の提唱者のひとりとして、この本を見逃すわけにはいきません。「太平洋」と「日本海」の境界、「辛口カレー」と「甘口カレー」の境目など、日常の中にひそむ曖昧な概念に、アンケートや調査などでくっきり境界線をつけてみようという企画。雑誌「広告」連載記事とのことで、ネーミングやちょっとしたいいまわしが面白い。マーク・タイラー・ノーブルマン+都恋堂『ちがいの分かれ目』(小学館)よりずっといいです。
確かにウインナーとフランクフルトとボロニアの境界なんて、飲み屋の小話に使えそう。なかでも面白かったのは視覚や味覚などを試す五感系(青と緑の境界、カレーの味の境界)と、風俗・コミュニケーション系(合コンと飲み会の境界、モテるおごり額の境界、脈ありレスメールの境界)。
しかし私はケータイ電話をぜんぜん使わないので、脈ありレスメールの境界には改めてカルチャーショックです。大学生や20代の境界は1時間以内……。「俺、2時間以内に返事がこないと、モチベーションが下がる。(中略)あ、もういいかな、みたいな」と語る大学生男に戦慄。即レスは大学研究者、という印象なんですが。30代なら1日未満まで延長、って、それでも1日かよ!
「こんな程度の額をおごったくらいで、私を口説くつもりなの?」額の境界は4000-5000円、「おごってもらってうれしいな。この人素敵だな」の額の境界は10000円、「そんなにおごっていただいても困りますぅ…」額は13000円だそうです。7000円前後のおごりが好印象、って都会の男たちはそんなに支払っているんですか……。
合コンより飲み会と銘打ったほうが成約率が高いという話に、へぇ〜、なるほど、と声を上げる。

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October 14, 2007

物理学者、ウォール街を往く。—クオンツへの転進

これはおもしろかった。素粒子理論の研究者から金融工学の道へ転身した人物の自伝。本人も強迫観念症気味のところがあると告白しているように、彼自身がとてもこだわっているところとそうでないところの差が伝わってくるのだが、全体を通して清々しい印象を与えるのは、やはり彼が科学者の立場で社会に貢献しようと考えているから。クライマックスはフィッシャー・ブラックとの関わりを綴った部分だが、それ以外も充分に惹きつけられる。各章のタイトルもセンスがあって素晴らしい。
仕事がうまくいかない時期はシュタイナーにはまったり、ゴールドマン・サックスを飛び出してソロモン・ブラザースに転職してみるものの完全に失敗したりと、決して順風満帆ではない。彼自身はある種の典型的な物理学者だと思うが、彼自身の人生はとても人間くさい。そのバランスが絶妙に表現されている。
途中、彼がエルヴィン・シャルガフやシュレーディンガーの著作に共感を示すあたり、びっくりしてしまった。つまりこの本は、金融工学の本ではあるけれど、「生命とは何か」という本質をずっと考え続けていたい人にとっては人生の指針となるような本だと思う。生命を本当に解き明かすのは、もしかすると金融工学者かもしれない、と思わせる一冊。

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October 03, 2007

仕事で燃えつきないために—対人援助職のメンタルヘルスケア

科学コミュニケータ(ないしは科学ファシリテータ、科学を伝える人、なんでもいいが)はバーンアウトしやすい、だから燃えつき症候群に対するしっかりしたケアが必要、ということを、私は日本科学未来館ができたころからいい続けている。科学を伝えることは正しいこと、自分がやらなければならないことなのだ、という正義感や義務感が生じてしまったとき、「燃えつき」が生じやすい。つまり科学コミュニケータは教師や看護師、ソーシャルワーカーなどと同じく対人援助職であり、だからこそメンタルケアが必要となる。
いま、科学コミュニケーションは一種のブームのようなものとなりつつあり、10年前とは隔世の感がある。しかし今後、必ずそこに関わった人たちの「燃えつき」問題が顕在化してくる。どうか科学コミュニケーションを推進する人たちは、メンタルケアへの充分な配慮をお願いしたいし、また科学コミュニケーションに関わる人も一度はこういう本を読んでおくのがいいと思う。

さて、実は作家というのもひとつの援助職であり、だからこそ「燃えつき」が起こるのではないかと私は考えている。作家というとわがままし放題で、編集者がなだめすかして原稿を書かせているというイメージがあり、表面上はその通りなのだが、実際は作家側がものすごく編集者に対して気を遣っている。編集者がいい気持ちで仕事に打ち込んでくれることが作家にとっての生命線であるから、わがままをいって手を焼かすのも編集者に対する一種のもてなし、援助だと考えることができる。一方で、編集者の仕事環境を整えてやるのも援助のひとつとなる。つまり作家は作品で読者をもてなす対人職であると同時に、編集者をもてなす対人職でもあって、その両方は自分の収益に直接跳ね返ってくる。だから「燃えつき」が起こるのではないか。
また、一作ずつ全力を投入するようなタイプの作家は、作品ができるごとに燃えつきていることになる。その燃えつきが編集者や読者からの高評価となって戻ってくれば次のやりがいにつながるが、そうならない場合の喪失感は大きいだろう。
私自身、ともすれば燃えつきが起こりやすい性格であることを自覚しており、制御に気を配るようにしているが、うまくいっているかどうか心許ない。たとえば私の場合、すでにSFに関しては燃えつきてしまったと思う。SFに関しては何をやっても「あいつは仲間内でないから」という理由によって否定評価しか返ってこないわけで、つまり私はSFに関しては、SFへの対人関係に失敗し、とうの昔に燃えつきて死んでしまった。ただ、SFに関してきちんとスーパーバイズしてくれる人が当時ひとりでもいたら、私の人生は違ったものになっていたかもしれない。
せめてこれから小説を書く人には、そのような事態に陥ってほしくないと思う。もっとも、そんなことを考えることさえ不遜との意見もあろう。

燃えつきを回避し、援助職(科学コミュミケータや作家を含む)を続けてゆくためには、ある意味毎日の仕事で力を抜くことが大切となる。さて、読者の皆さん、あなたはテキトーに書かれた小説を読みたいですか? そういった小説を、あなたはどのように評価・批判しますか? という問題がここで立ち現れることになる。
本書の最後に書かれている「援助職をつづけてゆくために」の内容は、その意味で大切である。ここに書かれていることは『境界知のダイナミズム』で希望として掲げたことと表裏一体なのだと思う。

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