宝島社新書『グーグル明解検索術』 宝島社新書
親へプレゼントしたいと思った一冊。本文は二色刷で、いろんなグーグルの使い方が書いてある。私も知らなかった活用法がいくつかあった。ブログもウェブサイトもつくらない、でもインターネットは生活の中で使っていて、時刻表を見たり、気に入ったサッカー選手の日記を読んだり、Amazonで買い物もしたり。そんなごくふつうの人が、手元に持っておくにはとてもいい本だと思った。
ここから先は、感想文から離れて、どうでもいい呟き。
最近、やたらとWeb2.0だとかロングテールだとかいわれるようになって、私も梅田望夫『ウェブ進化論』や佐々木俊尚『グーグル Google』やジョン・バッテル『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』なんかを読んだ。
「グーグルは神になるのか?」という話題がときどき出てくる。個人的な心象だけれど、グーグルは神ではない。パースペクティヴなのだと思う。私たちに見方を与えてくれるツールであり、そこへの道筋をつけてくれる手掛かりであるということだ。グーグルアースで自分の家が俯瞰視点で見える、それは面白いことだけれど、俯瞰で見ているのはあくまで私たちであって、グーグルではない。グーグルは私たちに、あたかも神のような視点を疑似体験させてくれるツールである(ある教授の秘書さんは、グーグルアースの画像を見て、「なんで車が動かないんですか?」といったそうだ。この感覚、よくわかる)。
何かを調べようとするとき、私たちはグーグルに「お伺いを立てる」、という。グーグルの結果をご神託のように感じている人が多いわけで、このあたりから神への連想が出てくるのかもしれない。本当は、グーグルが与えてくれるのは結果ではなく、そのキーワードによって切り取られた世界だ。
しかしグーグルが他の検索エンジンより支持されたのは、私たち人間の直感に近い検索結果を表示してくれたからだ。つまりグーグルは検索エンジンではあっても、何をどのように切り取るかの道筋が、背景に潜むエンジニアによってデザインされている。私たちは世界を切り取りたいとき、自分の直感に沿ったパースペクティヴを獲得したいと無意識のうちに願ってしまう。グーグルを神に喩える人は、神とは人間の潜在的な欲求に応えてくれる超越存在なのだ、と考えているのかもしれない。グーグルもふだんは背景に潜むエンジニアの姿が実感できないところがミソだと思う。グーグルアースのようなものが出てきたとき、私たちは地球を検索することが面白いのだ、そういう視点が入手できるのだと実感する。グーグルという会社は、何を検索すると面白いのか(あるいは、何が検索できると儲かるのか;何を検索対象から外せば商売になるか)という問題意識の明確化に優れているのだと思う。だから背後の思惑が透けて見えてしまったとき、利用者は極度に警戒する。
何かを調べようとして、なかなかうまい検索結果が出なくて困ることがある。いろいろキーワードを重ね、変えてみるがうまくいかない。進退窮まって、MLに「こんなことを調べているんですが知りませんか?」とポストしてみると、誰かが「これとこれのキーワードでAND検索したらすぐ出てきましたよ(やれやれ、ちゃんとグーグルを使ってよ)」と返答してくれるのがいつものパターンで、「なぜそのキーワードの組み合わせを思いつかなかったのだろう」と驚くことがよくある。なぜ私たちは自分のパースペクティヴをうまく見つけられないことが多いのだろう。これはとても面白い現象だと私は昔から思っていて、人間のとても本質的な知能のあり方に直結しているような気がしている。私たちはグーグルの検索を通して自分のパースペクティヴを鍛練し、鮮明化しようと日々努力しているわけだが、一方、企業や商店は、何とかして自分の広告を検索でヒットしてもらおうと懸命にキーワードを作り込み、買い込んでいる。
今後は自分のブログがコンピュータで検索されて、どんどん広告が載るようになるわけで、その広告と自分の思考の間に短いループができあがってゆく。以前は『ニュースステーション』で久米宏が前の晩に喋ったことを、自分もそう思っていたんだよ、と翌日真面目に話す人がよくいたけれど、だんだんそれが当たり前のことになってゆく。最近は検索結果にRSSがたくさん表示されるようになって、検索の中にも検索のループが入り込むようになってきた。検索は自己言及の迷宮に入り込んでゆく。ディシジョンメイキングはいったいどこにあるのか、という話になってくれば、もはやそれは脳内の意識を語ることとさほど違いがない。
人間はパースペクティヴを手なずけることで、社会性と勇気を得るのだと私は思う。キーワードを思いつき、検索し、その結果から何かを得て、行為をする。この一連の流れの中に、人間のちょっとした勇気がある。それが実は人間の本質であったりする。そんなことを最近は思っていて、うまく文章化したいのだが、いまいちうまくいかない。
グーグルを神と呼ぶ人は、エラリイ・クイーンの描き続けた「操り」に神を見出すだろう。だからこそ名探偵クイーンが『十日間の不思議』で喪いかけて、そして『九尾の猫』で取り戻そうとした勇気を、グーグルを通して多くの人が経験するようになるかもしれない。まったく別の未来もあるかもしれない。
私ならグーグルに何を期待するだろう。単純に夢想するなら、道を歩いていてふと空を見上げたとき、いまこの温度と湿度と風の動き具合を周囲のユビキタス環境が調べ上げて、いまこことよく似た環境の都市がどこかと検索してくれると楽しい。いま仙台ではたくさんの花が咲いている。一日ごとに枝葉の姿が変わっている。ふと見た花の名前を教えてほしい。そこに植物図鑑の広告が載っていたってかまわない。むしろ歓迎するだろう。なぜってそれは、人間の知が世界のどこまで手を伸ばしているかを、世界そのものと共に見ることになるのだから。それは楽しいことだと思う。
検索エンジンのサイトを開くと、よく本日の運勢が表示されている。gooでは本日の山羊座の運勢は★ふたつ。フレッシュアイでは100点満点で95点だった。たいていこのふたつは結果が違う。違っているうちは、ぜんぜん大丈夫だと思っている。
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